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名古屋地方裁判所 平成2年(わ)609号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一  公訴事実など

一  本件公訴事実(変更後の訴因)は、「被告人は、全名青果事業協同組合に事務員として勤務していたものであるが、同組合の取引銀行から小切手金支払名下に金員を騙取しようと企て、別紙犯罪事実一覧表記載のとおり、昭和五八年一二月七日ころから昭和五九年五月二九日ころまでの間、前後一六回にわたり、名古屋市〈住所略〉株式会社大垣共立銀行尾頭橋支店ほか一か所において、同銀行係員らに対し、真実は呈示する同組合理事長名義の小切手金の支払いを受ける権限もなく、支払いを受けるを金員は自己において、費消する意図であるのにこれを秘し、あたかも同組合の資金調達のため、小切手により店頭払いを受ける権限があるもののように装って同係員らに小切手金支払いを求め、同係員らをしてその旨誤信させ、よって、いずれもそのころ、同所において、同係員らから現金合計六〇六八万八一八三円の交付を受けて、これを騙取した。」というものである。

二  本件訴訟の経過

本件記録によれば、被告人は、昭和六三年一一月一一日、自己費消の目的で右組合名義の当座預金から右組合理事長K振出名義の小切手合計一七通を用いて、現金合計六〇六八万八一八三円の払出しを受けたとして、業務上横領罪により在宅のまま起訴され、差戻し前第一審においては、公訴事実を全面的に認めて、平成元年二月七日懲役二年の実刑判決を受けた。被告人は、量刑不当を理由に控訴し、その後、新たに弁護人(当審と同じ)を選任して事実誤認も主張し、横領行為自体を否認した。控訴審は、被告人には小切手振出権限、小切手資金の処分権限が認められず、右当座預金を業務上保管していたとは認められないとして、平成二年三月一九日、事実誤認を理由に破棄差戻しの判決をした。

差戻し後の当審では、検察官は前記の訴因への変更を請求し、当裁判所は第二回公判にこれを許可した。被告人、弁護人は、新訴因について、右各小切手を自己費消の目的で現金化したことはなく、現金化した人物は分からないが、仮に自分が現金化したとしても、組合の資金繰りなどのために行なったもので、当該現金は組合のために用いられているとして、無罪を主張した。(〈以下省略〉)

第二  前提事実

本件各証拠によれば、次の事実が認められ、この点については、検察官・弁護人に特に争いはない。

一  全名青果事業協同組合の事業の概略及び被告人の職務

1  全名青果事業協同組合(「組合」)は、中小企業等協同組合法に基づいて昭和三二年に設立され、名古屋中央卸売市場に出入りする約五〇〇名の青果業者を組合員とし、名古屋市熱田区内に事務所(「組合事務所」)を置いていた。主たる事業は、右市場内で組合員が仕入れた青果物の仕入代金の精算事務で、組合員から仕入代金徴収し、荷受業者及び仲卸業者(両者「荷受・仲卸」)に仕入代金を支払いして、これを精算する業務である。

2  精算事務の概略は次のようになっていた。

(一) 組合員は、仕入代金を、組合事務所窓口において現金若しくは小切手で、又は組合名義の銀行口座に振り込んで支払う。その口座は、

① 名古屋相互銀行(現「名古屋銀行」)八熊支店・当座預金・口座番号五一三三

② 東海銀行尾頭橋支店・同・同三四〇〇二一

③ 大垣共立銀行尾頭橋支店・同・同〇〇二四五一であった(以下、各支店を順に「名相・八熊」「東海・尾頭橋」「大垣共立・尾頭橋」と、各口座を順に「五一三三口座」「東海・尾頭橋口座」「大垣共立・尾頭橋口座」)。

なお、東海・尾頭橋及び大垣共立・尾頭橋(両者を「東海・尾頭橋」)における組合口座は右の二口座だけであった。

(二) 組合は、荷受・仲卸に対する支払いは五一三三口座から行なっていた。

組合事務所には、毎日午前一一時台と午後二時ころに名相・八熊の担当者が訪れる。組合は、この担当者に、①午後午後の各締切までに組合員が窓口に持参した現金及び小切手(前日の午後締切後に持参された分は翌日午前となる。)、②東海・尾頭橋等の各口座に振り込まれた分を五一三三口座に切り替えるための組合理事長振出名義の小切手(「振替小切手」)、③荷受・仲卸に対する支払いのための組合理事長振出名義の小切手をまとめて交付する。五一三三口座では、①と②が入金処理され、組合員から同口座に直接振り込まれた分とともに、荷受・仲卸に対する③の小切手の支払いに充てられることになる。

(三) 組合は、支払代行の見返りとして、荷受・仲卸から、「奨励金」として代金の一パーセントの支払いを受けていた。その二割は「精算事務分担金」として組合の運営費とし留保し、その余は「完納奨励金」として組合員に年二回に分けて還元する仕組みになっており、これらも「精神事務勘定」の一部として行われていた。奨励金は、一旦は名相・八熊普通預金口座一四〇〇〇九(通称「丙」)に積み立てられ、その後、同当座預金口座一八〇四九に移されたうえで、完納奨励金が支払われていた。

3  このほか、組合には、一般経費等を管理する「本勘定」と、包装資材の委託販売等に関する「商品勘定」があり、それぞれ名相・八熊の預金口座を利用していた。

4  組合の代表者である理事長(代表理事)は、昭和四八年から五四年までがM(故人)、同年から昭和六一年八月までがKであり、常務を掌理する事務長は昭和五〇年から平成二年までYであった。このほか事務職員として、公訴事実の期間(「本件該当期間」)には、窓口の代金受入れ事務担当者約六名、会計担当者一名、そして被告人がいた。被告人は、昭和三七年から昭和四四年までと昭和四八年ころから昭和五九年五月三一日まで組合に勤務し、再就職は精算事務を担当し、主として精算事務勘定の元帳の作成を行なっていた。

二  本件各小切手が支払われたこと

本件公訴事実別紙一覧表記載の日(項は除く)及び場所において、組合理事長名義の小切手一七通が店頭に持ち込まれ、その場で持参者に券面額の現金が交付された。右各小切手の振出人欄には、「全名青果事業協同組合理事長K」の記名印(「組合記名印」)及び組合理事長印が押捺されており、支払場所は同表「犯行場所」欄と同じく東海・尾頭橋又は大垣共立・尾頭橋、振出日欄は持参日と同日または数日前、券面額は同表「騙取金額」と同じである(以下、これらの小切手を「本件各小切手」といい、個別に述べるときは同表の番号による。ただし、同表12番は二通あり、額面二二五万三六六〇円を12-1、額面三九二万〇七五〇円を12-2とする。)。

三 組合の使途不明金が問題とされ、被告人が責任を認めたこと

被告人の事務を引き継いでいたI子は、Y事務長の指示を受けて、昭和五六年四月分から昭和五九年三月分までの精算事務勘定に関する使途不明金の有無を調査した。I子は、被告人退職の約半年後から昭和六一年四月初めころまで調査を続け、一億四六三万〇〇二六円の使途不明金が存在すると算出した。

右調査中の昭和六一年一月、前記K理事長らが被告人宅を訪れた際、被告人は使途不明金とされているものについての責任を認めた。同年六月、組合と被告人の双方の代理人弁護士の間で、前記金額を被告人が着服横領したことによる損害賠償債務の支払いについての弁償契約が締結された。被告人は、保証人となった夫Tとともに、同年七月から翌昭和六二年末にかけて約一億円を支払い、その余の債務の免除を受けた。

他方、昭和六一年八月、被告人が右のように着服していたとの新聞報道がなされ、これを契機に、愛知県熱田警察署が組合の使途不明金に関する捜査を開始した。被告人は、警察官、検察官の取調べを通じて、一貫して右一億四〇〇〇万円余及び本件公訴事実中昭和五九年四、五月の各横領の事実を認めていた。

第三  本件各小切手の作成経過

一  組合では、東海・尾頭橋等の各口座から五一三三口座への振替小切手については、毎日、各銀行支店から、どの組合員からいくらの振込みがあったという電話連絡があり(電話を受ける者は決まっていない。)、これに基づいて会計担当者が小切手用紙の記入をし、Y事務長が、その不在時には被告人が、組合理事長印を押して作成しており、その後、会計担当者が名相・八熊の担当者にこれを交付していた。チェックライターは、通常、会計担当者が保管していた。

二  本件各小切手(〈押収番号略〉)の外観を見ると、小切手用紙、振出人欄の押印、チェックライターによる券面額の記載などは、通常の振替小切手と同じである。小切手番号と支払日の関係も、正常に交換決済された振替小切手と連続している(〈書証番号略〉)。ただし、裏判は、通常は、名相・八熊の担当者に小切手を渡す前に会計担当者が「全名青果事業協同組合」というゴム印を押すだけであったが(H子及びS子の各証言)、本件各小切手では、振出人欄と同様に「全名青果事業協同組合理事長K」の組合記名印と組合理事長印が押されている。

対応する控(小切手の耳、〈押収番号略〉)の筆跡は、それぞれ当時の会計担当者であったH子又はS子のものである。一七通中、一五通の券面額は、振出日記載の振出日又はその前日の組合員からの振込金額に対応しており、残る二通(〈書証番号略〉)も耳及び各口座の預金元帳の記載からすると対応している可能性が強い(以上、Y、H子及びS子の各証言、被告人の公判供述、〈書証番号略〉)。

三 右のように本件各小切手は、裏判の点を除いては、通常の振替小切手と共通している。耳の筆跡や通常の小切手作成過程からすれば、会計担当者のH子又はS子が、東海・尾頭橋等からの振込みの電話連絡に対応して、券面額や振出日を記入したとみるのが自然であるが、被告人が記入した可能性もないとはいえない。

組合理事長印や裏判を押した者については、被告人がY事務長の不在時に押捺することを許されていたこと、勤務時間外に組合理事長印が保管されている金庫の鍵を持っていたことからすると、被告人である可能性はあるが、Y事務長その他の者であった可能性も否定できず、自白以外に特定するような証拠はない。

第四  本件各小切手金の行方

一  被告人は、捜査段階では、本件各小切手金を自己の用途に費消した旨自白していたが、控訴審以降は否定している。そして、弁護人の最終的な主張は、「①本件各小切手は振替小切手であり、各小切手金は、現金化後直ちに五一三三口座に入金されたと考えられる。当時、組合の資金繰りの悪化によって、五一三三口座が資金不足となって荷受・仲卸に対する支払小切手が不渡になるおそれがあったため、振替小切手を店頭で現金化することによって、名相・八熊から取立てに回すよりも早く五一三三口座に入金しようとしたものである。②そうでないとしても、組合では各口座間で頻繁に資金の流用を行なっており、五一三三口座以外の口座に流用された可能性もある。」というものである。

二  まず、五一三三口座に入金された可能性を検討する。

1  控訴審以降、被告人は、「①五一三三口座に多額の貸越があったために、荷受・仲卸に対する支払小切手の振出が当座貸越限度額を超えた『過振り』になりそうなときがあり、名相・八熊からその旨の電話連絡を受けて、あるいはY事務長と相談の上、東海・尾頭橋等の振替小切手を頻繁に現金化していた。②実際に東海・尾頭橋等に行ったことがあるのは被告人、Y事務長と会計担当者で、会計担当者のときは女子事務員がもう一人同行していた。③現金化後は、直接名相・八熊に持参、組合事務所で名相・八熊の担当者に交付、あるいは、その場で五一三三口座に送金といった方法によって処理した。」と供述し、本件各小切手についてもその可能性があるとしている。

一方、Yは、昭和五六年ころに二回、被告人供述のような理由で、自ら小切手を店頭で現金化し、現金を名相・八熊の窓口で五一三三口座に入金したことがあるが、そのほかに自ら現金化したり、これを指示したことはない旨証言している。会計担当者であったH子及びS子も、本件各小切手を含めて、店頭に持参したことは一度もない旨供述している(〈書証番号略〉)。

2  右山田らの証言の信用性はさておき、その他の関係証拠を総合すると、本件各小切手金の多くについては、弁護人・被告人主張のような経過で五一三三口座に入金された可能性は乏しいと考えられる。被告人も公判において、取り調べた証拠上はその可能性が低いことを認めている。

(一) 本件各小切手金は銀行窓口で小切手持参者に現金で交付されているが、五一三三口座の預金元帳上の現金入金をみると、現金化当日ないしその近辺において、本件各小切手金額に対応する入金は存在しない(〈書証番号略〉)。

(二) 右預金元帳は、昭和五九年五月一四日以外の各現金化当日については、二回ずつの現金入金が記載されているだけである。この二回の入金は名相・八熊の担当者が組合事務所で受け取った分であると考えられるから、現金化当日に名相・八熊の窓口に小切手金が直接持参されたことはないといえる。

ただし、右五月一四日には、順に、九六一万円余、七万円余、五九八万円余、一九一万円余四回のの現金入金があり、元帳上の取引コード番号は、前三者が午前入金と思われる九〇〇、最後が午後入金と思われる九〇八である。他方、番号13の小切手(三二二万二五二三円)と番号14の小切手(二〇二万円五二三〇円)はいずれも振出日が同月一四日で、現金化は番号13が同日、番号14がその次の取引日の同月一四日であり(時刻はいずれも不明)、前記四回の現金入金状況と対比すると、通常の現金入金とは別個に、この二通分がまとめて同月一四日に五一三三口座に入金された可能性はある。

(三) 被告人は、組合事務所に持ち帰って名相・八熊の担当者に渡す場合には、組合員が持参した現金と一緒に、当日の午後入金か翌日の午前入金になる旨供述する。しかし、五一三三口座の預金元帳上は、各現金化当日の午後入金と思われるものは、いずれも一〇〇万円未満で、本件各小切手金額を下回っている。翌日の午前入金になる場合があったとしても、現金化時刻が判明している東海・尾頭橋分の小切手六通は、正午前から午後一時過ぎに現金化されており(当該小切手の裏面の記載による。)、午後入金に間に合ったはずである。

また、当日の午前入金に組み入れられた可能性についても、小切手番号1から13の現金化当日に関しては、その日の五一三三口座上の現金入金額から、B仕入合計伝票(現金、小切手又は振込による個々の入金を示す。〈押収番号略〉)上、明らかに窓口で組合員が現金で入金したと認められる金額を差し引くと、その残額は、番号9(現金化時刻不明)だけが小切手金額を約五〇万円上回っているが、そのほかは小切手金額未満であるから、右の可能性はまず考えられない(〈書証番号略〉)。なお、番号14ないし16については不明であるが、番号13までの結果からすると、やはり可能性は乏しい。

(四) 以上によれば、小切手番号13、14は通常の午前午後の入金とは別個に、番号9は当日の通常の午前入金に組み入れられて、それぞれ五一三三口座に入金されたと考えられないことはないが、その余の小切手ついては、そのような可能性はかなり乏しいといえる。

三  他の組合口座に流用された可能性については、Y証人は、精算事務での入金分を本勘定口座に一時流用したことがある旨証言し、被告人は、奨励金積立口座(丙)から五一三三口座に流用した後、奨励金の支払のために、振替小切手を現金化して完納奨励金支払口座に入金したこともあった旨供述しており、組合の各銀行口座間でしばしば資金の流用が行われていたことが窺われる。しかし、五一三三口座以外の名相・八熊の各口座の預金元帳(〈書証番号略〉)によっても、本件各小切手に対応するような高額の入金は認められず、各小切手金の一部だけが流用された可能性はあるにしても、短期間に巨額の流用があったとは考えられない。

四 もっとも、本件各小切手金の行方に関する資料は十分とはいえない。重要な資料と考えられる精算勘定の振替伝票及び精算勘定元帳は、昭和五九年三月以前の分は所在不明として公判に提出されておらず、同四、五月分は提出されているものの、I子及びYが書き直した物であり〈証拠略〉、被告人が証拠隠滅工作をしたと認めうる証拠もない。そこで、弁護人は、本来の振替伝票が提出されれば、現金の行方を解明できると主張しており、確かに、従来所在不明とされ、当審に至って領置された昭和五六年度から五七年度の精算勘定の振替伝票(領置の経過は第七参照)を、関係預金元帳、I子作成の「不明金一覧表」ほか二通(〈書証番号略〉)と照合すると、弁護人主張のとおり、I子が使途不明又はプラスの差額があるとした分のうち、二四件、金額にして合計三七〇〇万円弱が使途不明等ではなく(うち使途不明分三三五〇万円弱)、振替伝票の訂正、口座間の資金の移動、五一三三口座への入金であったことが窺われる(このほかにも、約四〇〇万円分が使途不明ではないようである。)。

しかしながら、こうして解明された金額中、明らかに小切手の現金化と関係すると判断できるものはなく、その可能性のある金額も大きいものではないので、振替伝票との照合を行なったとしても、本件各小切手金が組合のために利用されたことが判明する可能性は乏しい。

五 以上によれば、番号9、13、14以外の各小切手については、断定はできないものの、やはり、五一三三口座に入金された可能性や他の口座に流用された可能性は低いということができる。ただし、被告人の自白以外に、被告人が取得ないし費消したことを窺わせる証拠があるわけではない。

第五  本件各小切手の持参者

一  本件各小切手の持参者については、各銀行窓口でその支払手続を行なった銀行員の供述調書(〈書証番号略〉)では、全く不明である。

ところで、持参者として一応考えられるのは、被告人、Y、そして当時の会計担当者であったH子又はS子であるが、Y、H子及びS子は、前記のとおり、自ら現金化したことや、一般に現金化が行われていたことを否定している。他方、被告人は、前記のとおり、本件各小切手は組合の資金繰りのために現金化された可能性があり、自分が持参したのかもしれないし、Y、H子及びS子が持参したのかもしれないと供述しているが、結局、本件各小切手のうち、番号9、13及び14を除いては、小切手金が五一三三口座等に入金された可能性は乏しいので、その限りでは被告人の右供述に根拠がないことになる。

二  しかし、次の諸点からすると、被告人が右のように供述し、自分が持参した可能性を否定していないのも理由がないわけではない。

(一)  遅くとも昭和五一年ころから本件該当期間までの間、組合の資金繰りが悪化していたことは、Y証言、昭和五〇年ころから昭和五八年まで会計担当者だったOの証言、〈差戻し〉前一審のYの警察官調書(〈書証番号略〉)、被告人公判供述により明らかである。その程度は、Yの証言によると、五一三三口座の貸越額は、昭和五一年ころには五〇〇〇万円程度、五八年には八〇〇〇万円程度、五九年には一億円以上であったとのことであり、五一三三口座の預金元帳によれば、本件該当期間には、右金額前後の貸越が生じた日もあったことが認められる。

(二)  Oは、「名相・八熊から過振りになるという連絡があり、Y事務長の指示を受けて単独で、あるいはY事務長とともに、頻繁に(多いときは週に二、三回)東海・尾頭橋等に行って窓口で振替小切手を現金化したことがあった。女子事務員が二人で行ったこともあった。現金化後は、電信送金、名相・八熊へ持参のほか、午後の名相・八熊の担当者が来るのに間に合うときは、組合事務所に持ち帰ったこともあった。」と証言している。この証言は、具体的で、被告人供述とかなり合致している。I子も、昭和五九年六月一日以降について、組合の資金が苦しいときにY事務長が二、三回振替小切手を現金化して名相・八熊に持参したことがあり、自分が同行したこともある旨証言している。なお、被告人の警察官に対する自白調書(〈書証番号略〉)でも、稀ではあるが、右のような現金化があったとされている。

そして、Yも、会計担当者からの報告に基づいて、現金、小切手、振込による入金と、荷受・仲卸に対する支払等を記帳した入金・支払金報告綴を作成して、毎日の入出金状況を把握しようとしていたが、資金不足が予想されたために、東海・尾頭橋等からの振込の連絡を待たずに、振込を予測して先に振替小切手を切ったことがあり、また、午後三時前ころに名相・八熊から資金不足のために荷受・仲卸に対する支払小切手が落ちない旨の電話連絡が来たことがあった旨証言している。したがって、Yの証言によっても、組合が荷受・仲卸に対する支払にしばしば窮していたこと、Yが五一三三口座の状況を知ってこれに対処しうる立場であったことが窺われる。

(三)  被告人は、本件該当期間である昭和五九年二月に、次のとおり、組合理事長名義の小切手五通を東海・尾頭橋等で現金化しており、現金は受け取っていないが、直ちに五一三三口座に電信送金している。

① 昭和五九年二月九日

東海・尾頭橋にて、小切手三通、額面合計九五四万一七四〇円(一括送金)

大垣共立・尾頭橋にて、小切手一通、額面二九五万六二三〇円

② 同月二五日

東海・尾頭橋にて、小切手一通、額面五五〇万円、現金五〇万円とともに六〇〇万円として送金

(東海・尾頭橋、大垣共立・尾頭橋各作成の「弁護士法二三条の二による照会に対する回答」写〈外証拠省略〉)

小切手の額面及び東海・尾頭橋等の各口座の預金元帳からすると、これらの小切手は振替のための小切手であると考えられ、また、山田作成の前記入金・支払金報告綴(〈押収番号略〉)では、各送金日の当座貸越残高は当時の限度額一億円に近い金額となっている。

(四)  前記のとおり、番号9、13、及び14の各小切手については、被告人が供述するような経過で五一三三口座に入金された可能性が考えられる。

さらに、伊藤作成の「不明金一覧表」等では、昭和五八年七月から昭和五九年二月にかけて振り出された小切手のうち一二通が現金で引き出され、その支払先が不明であるとされているが、このうち起訴されたのは三通分だけである。起訴されていない九通のうち、一通は振込送金された前記五五〇万円の小切手であり、これは伊藤が振込送金の点を見落としたことによるものと考えられる。しかし、うち三通(同年七月から九月)については、被告人の検察官に対する供述調書(〈書証番号略〉)でも自ら現金化して使い込んだ旨の自白があり、同調書添付の小切手写によると、いずれも窓口で現金が交付されたものと認められる。残る五通についても、伊藤が小切手の写を見た上で不明としていることからすると、窓口で現金が交付された可能性が強い。

昭和五八年一一月以前の五一三三口座等の預金元帳が当裁判所に提出されていないために詳細は不明であるが、これら八通の小切手金について公訴時効が考えられないことからすると、組合のために使用されていたことから、起訴されなかったということも考えられる。

三 Y、H子及びS子の証言については、そもそも同人らも本件各小切手を持参しうる立場にあった者、すなわち本件の嫌疑を受ける可能性のある、いわば当事者的な立場の者であるから、同人らの証言の方が被告人の供述よりも無条件に信用性が高いということはできない。

そして、昭和五六年の二回以外の現金化を否定するY証言は、その供述自体、「それ以外に五八年から五九年の、この本件についてはちょっと記憶はないんですけど」「私は指示した覚えはありません」、あるいは、弁護人の「甲野さんが行くときは一人で、それ以外の事務員が行く時は二人で行ったというようなことはありませんか」の問いに対して「もし私以外で行けばそういうことがあり得るかも分かりませんが、何ともいえません」などというものであって、重要な事項であるにも関わらず、曖昧な答えに止まっている。後記第七のとおり、Yのその他の証言や言動にいくつかの疑問点があることも考慮すると、現金化に関するY証言は信用性に乏しい。

現金化一般を否定するH子及びS子の各証言も、それ自体に矛盾等はないものの、被告人が前記一のような主張をしていることを承知した上での供述であるから、必ずしも信頼できるとはいえない。

他方、この点に関する被告人の控訴審以降の供述は、細部に変転や曖昧な点があるものの、具体的かつ詳細である。

四  右二、三によれば、本件該当期間を含む被告人の在職中に、被告人やYらが、組合の資金繰りのために度々振替小切手の現金化(同時に五一三三口座の送金した場合を含む。)をしていた可能性は十分にあるといえる。そうだとすれば、仮に被告人が無実であっても、被告人が、本件各小切手について考えられる経緯として、組合の資金繰りのために自己又はYらが現金化したのかもしれないと供述していることは、必ずしも不合理ではない。しかも、本件審理では、弁護人は、控訴審段階から小切手控、振替伝票、各勘定元帳、銀行預金元帳の照会結果、I子作成の「不明金一覧表」などの証拠開示を求めて本件各小切手金の行方等の立証を試み、その後、この種の証拠によって、前記のとおり、現金化して五一三三口座に振込まれた事例が明らかになり、I子が使途不明金としたものの一部が解明されている。こうした経過も考慮すると、被告人がことさら虚偽の供述をして罪責を免れようとしたとは認めがたい。

したがって、本件各小切手金の多くについては、弁護人・被告人の主張とは異なって、それが組合の資金繰り等に用いられた可能性は乏しいとはいえ、そのことをもって、被告人の前記供述を虚偽とすることはできない。

五  さらに、本件各小切手の裏判との関係でも、被告人が本件各小切手全てを密かに現金化したとするには疑問がある。

前記第三、二のとおり、通常の振替小切手と違って、本件各小切手の裏には組合記名印と組合理事長印が押されていることから、本件各小切手は、裏判が押された時点で、既に現金化が予定されていたことになる。Y、H子、及びS子の証言では、通常の業務としての現金化はなかったというのであるから、被告人が現金化するには、単に通常の振替小切手を持ち出すのではなく、少なくとも予め自分で裏判として組合理事長印等を押さなければならない。しかし、Yらの証言によっても、組合理事長印は通常Y事務長が保管し、被告人は同人不在のときに代って押捺するだけで、それもあまり多くはなかったとのことであり、被告人が、誰にも不審に思われずに、半年で一七通もの高額の小切手に組合理事長印を押すことができたというのは相当に疑問である。

六 以上の証拠関係からすると、自白以外の証拠からは、被告人が本件各小切手全部を現金化したと認めることはできないし、他の者に比べて特に被告人が行なった疑いが強いということもできない。もっとも、被告人が一部の小切手を現金化した可能性はあるが、それを特定することはできず、目的も不明である。

第六 被告人の自白等の信用性

一  K理事長らに責任を認めたこと及び弁償契約について

1 被告人は、昭和六一年一月二八日、K理事長らに対して使途不明金についての責任を認め、数回の交渉の後、同年六月一六日、組合との間で、代理人弁護士を通じて一億四六三四万〇〇二六円の着服横領に関する弁償契約を締結し履行している。その経過について、被告人は、控訴審以降次のように供述している。

すなわち、被告人は、在職中、一部組合員が滞納した仕入代金について、振替小切手を現金化した金員によって荷受・仲卸に立替払をし、当該組合員については入金扱いにするという処理を続けており、立替えになっている金額は数千万円に達していると思っていた。そのため、Kらから尋ねられた使途不明金については、この種の操作によるものと考えた。立替えの操作は、故人となっていたA前事務長から指示されたものだったし、退職した事務員に手伝ってもらったことがあったため、故人に責任を押しつけたり、元事務員に迷惑をかけることはできないという思いがあった。そして、Kらから、認めてくれれば警察沙汰にしないなどと言われ、当時、乳がんの手術を受けて退院してから間もない時期でもあって、自分たちの信用や三人の息子の将来を考えて責任を認めることにし、私がやりましたと答えた。確たる金額は分からなかったが、最初六、七〇〇〇万円と言ったところ、次第に組合側の額が増え、最終的に言われた一億四六〇〇万円余について責任を認めて弁償契約に応じた。その際、組合側から、刑事事件にしないという念書をもらった。

2  仕入代金の立替えについては、〈証拠省略〉によれば、昭和五二年ころ、組合員から仕入代金の支払のための先日付小切手約二〇〇〇万円分を受け取ったまま、その分を組合が立替えていることが組合役員会で問題になり、滞納業者にこれを支払わせるようにしたこと、その後も昭和五八、九年当時に至るまで、複数の組合員について同様の立替えが続けられていたこと、被告人及びYが組合員から右のような先日付小切手を受け取っていたことが認められる。本件各小切手自体は立替えのために現金化されたものではなく、また、立替えの累積額、振替小切手の現金化との関係、故A事務長の指示に関する被告人の前記供述を裏付ける証拠はない。しかし、右のように、立替えの事実があり、被告人がこれに関わっていたことからすると、被告人が、立替えによって使途不明金が生じたと考えて、責任を感じたということもあり得ないわけではない。

3 昭和六一年一月二八日のK理事長らとの話し合いについては、K、同席した組合理事長Nの各証言によれば、組合側は使途不明金の内訳を具体的に示したわけではなく、現金化された小切手のコピーを見せた程度であり、被告人の方も、「自分がやった」「操作した」とは言ったが、横領したとか自分のために使ったとは言わず、六、七〇〇〇万円について責任を認めただけであったこと、被告人は、当時、乳がんの手術を受けて退院後間もない時期だったことが認められる。このほか、Nは、被告人が、前理事長の時代から操作をしてきた、滞納者の穴埋めにしたと言った旨、K理事長が、認めれば表沙汰にしないと言った旨証言している。これらの事実及び証言は被告人の供述と合致している。

4 同年六月一六日の弁償契約では、昭和五六年四月一日から昭和五九年三月三一日までの間に一億四六三四万〇〇二六円を着服横領したことによる債務が確認されており、この額はI子が算出した金額である(〈証拠省略〉)。しかし、I子証言によれば、この調査では、Y作成の前記入金・支払金報告綴、関係口座の預金元帳、小切手コピーを資料とした程度で、振替伝票や精算勘定元帳は検討されていないこと、I子は従来の組合会計事務の実情を十分に把握していなかったことが認められ、I子証人も不十分な調査であったことを認めている。前記第四、四のとおり、その後領置された振替伝票との照合等により、右金額のうち約三七五〇万円は正当に使われていたことがほぼ明らかになっている。

このように、弁償契約では、不正確なI子の調査結果をそのまま認めた形になっているうえ、契約の過程で、被告人が小切手・金銭の持ち出しや使い込みの方法を具体的に述べた形跡もない。

5 これらの点からすると、債務の金額、弁護士を通じて契約していること、履行していることなどを考慮しても、弁償契約の内容が実態を反映しているとするには疑問があり、自己の立替え操作によって使途不明金が発生したと考え、警察沙汰になることを恐れて責任をかぶることにしたという被告人の供述は排斥できない。

二 警察官及び検察官に対する自白調書について

1 自白調書では、使い込みの総額について、「昭和四八年四月(原文のまま)ころから昭和五九年五月末日までの約三年(原文のまま)の間に全名青果事業協同組合理事長名の小切手を勝手に振出し、取引銀行の店頭で換金して横領し、その額が総額一四六、〇〇〇、〇〇〇円余になってしまい」(〈差戻し〉前一審昭和六三年五月二四日付警察官調書・乙3)、あるいは、「昭和五六年ころから退職するまでの五九年五月末までに数え切れないほど多数回にわたって、合計一億五〇〇〇万円余りのお金を使い込んでおります。」(同昭和六三年一〇月一九日付検察官調書・乙7)と述べられている。いずれの供述調書においても金額の根拠は述べられておらず、弁償契約同様、I子が算出した金額にそのまま従った疑いが強い。

2 約一億円五〇〇〇万円の使い込みの方法としては、①本件各小切手のように東海・尾頭橋等からの振替を装って小切手を現金化した場合、②五一三三口座の小切手を現金化した場合、③完納奨励金支払のための小切手を二重に切って現金化した場合の三つが述べられている(同昭和六二年二月二六日付警察官調書・乙1)。このようにして現金化された小切手としては、本件証拠上、一応、①の方法による本件各小切手及びI子作成の「不明金一覧表」等にある小切手の合計二五通、約七七〇〇万円が特定できるが、残る約七三〇〇万円分の小切手、あるいは②及び③の方法によって現金化された小切手が具体的にいかなるものであるかは全く不明である。

しかも、I子作成の「不明金一覧表」等では、一万円以下の小額の使途不明金がいくつも計上されているが、このような不明金と小切手の現金化による使い込みとがどのように対応するのか理解できない。

3 東海・尾頭橋等で現金化するまでの過程については、「(被告人は)自分の判断で小切手を振出して銀行に持ち込むなどしており、実質的には組合の当座預金を管理保管する立場にあって、勝手に小切手を振り出して現金化していた。小切手は、金庫かY事務長の机の上から、小切手帳、組合理事長印等を取り出して、自らチェックライターで金額を記入し裏判だけを押して作成するか、事務員に金額を記入させて、自らは組合理事長印と裏判だけを押して作成した。本件各小切手は耳の筆跡等からすると後者である。」などと述べている(乙3、〈差戻し〉前一審昭和六三年六月一〇日付警察官調書・乙4・乙7)。これによると、被告人は、容易に組合理事長印やチェックライターを使用して、不正が発覚しないように小切手を作成し現金化することができたようである。しかし、前記のとおり、通常は、組合理事長印はY事務長が押していて、被告人はその不在時に押した程度であり、チェックライターも会計担当者が使用していたのであるから、自白にあるような行動が現実に可能であったか相当に疑問である。

個々の小切手については、それぞれの写や耳を見ながら、金額、対応する組合員からの振込、現金化時刻(東海・尾頭橋分のみ)などを説明して、自白している(乙4・7)。しかし、いずれも示された資料から容易に推測できる事項であるし、小切手金も毎回ハンドバックに入れて持ち帰ったというだけであって、体験供述としての内容に乏しい。

4 前記警察官調書(〈書証番号略〉)では、昭和六三年二月二日の取調べで、自ら作成した小切手は全て横領したものと思い込んでいて、その旨供述したが、これは誤りで、自ら作成した小切手でも正規に振替入金されたものがあると訂正し、大垣共立・尾頭橋を支払場所とする小切手二通につき、交換払となっているので横領したものではないと述べられている。しかし、本件各小切手ほか捜査段階で問題とされた小切手については、現金化の有無を離れて、単に券面の記載等から被告人が作成したか否を判別することは不可能だったはずであり、「自ら作成した小切手であるから横領したものと思った」という供述は理解しがたい。このような供述の存在は自白全体の信用性を損なうものといえる。

5 小切手金の使途については、当時経営していた「ハイショップ甲野株式会社」、被告人又は夫の各預金口座に入金したり、「コーヒーショップ甲野」開業のための不動産取引費用、あるいは不動産取得のために作った借金の返済など多岐にわたって費消した旨述べられている(乙7、〈差戻し〉前一審昭和六三年一一月八日付検察官調書・乙8等)。預金の点は、預け入れ自体は、預金元帳に基づく自白であることから信用することができ、これによると、本件該当期間前後にかけて被告人関係の口座に十数万円から数百万円単位の金額が頻繁に預金されている。被告人の公判供述は、店舗の売上金等を預金していたなどというもので、十分に説得力のある説明ではない。

しかし、不動産については、右会社、被告人又は夫名義で従来から多数の不動産が取得されているものの(〈書証番号略〉)、金融機関からの借入れや不動産の売却代金などで取得費用を賄ったという被告人の公判供述は、関係不動産の登記簿謄本(〈書証番号略〉)に照らすと、一応筋が通っている。自白内容も、考えられる使途を羅列したに等しく、預金の点を除けば具体的な根拠に欠けている。

6 被告人は、控訴審以降、捜査段階の自白について、既に示談が済んでいたこと、いまさら覆しても仕方がないと考えたこと、取調官の口ぶりから起訴にはならないと思ったことなどから、言われるままに自白した旨供述している。警察沙汰になった以上、何故無実を訴えなかったのか当然疑問となるところである。

しかし、前記のとおり、被告人の自白には、弁償契約同様、根拠の乏しい金額をそのまま認めていること、使い込みの方法や使途が現実性具体性に欠けていること、当初の自白は理解しがたいものであったことといった問題がある。そのうえ、被告人は〈差戻し〉前一審公判においても「(取調べにおいて)起訴にならないために呼んで調べているんだというような内容のことを言われたことがあります。」と述べている。これらの点は、被告人の右弁解に通ずるものであり、そのような理由で責任を認め続けてしまったということも理解できるところである。

三 差戻し前一審における自白について

被告人は控訴審以降、差戻し前一審における自白については、当時の弁護人に横領していないことを話したが、否認すれば裁判官の心証を悪くするから情状論で行きましょうと言われて、これに従った旨供述している。予期に反して起訴されるに至ったこととの関係が問題ではあるが、当時の弁護人に依頼して弁償契約を締結した経緯もあり、その履行も済んでいたことから、それまでずっと認め続けてきたのを覆して混乱を招くよりも、虚偽の自白を維持して執行猶予を期待しようと考えたということもありうる。自白の内容も、本件分を含む一億数千万円の使い込みを認め、動機、使途を極めて簡単に述べただけであって、信用性を補強するような目新しい事項はない。

四 控訴審以降の被告人の否認供述について

検察官が指摘するとおり、本件各小切手金の行方に関する被告人の控訴審以降の供述は変転している。控訴審では、組合員の仕入代金の立替え及び資金繰りのために五一三三口座に入金した可能性をあげていたが、当審では、立替えの点を撤回して他の口座への流用の可能性をあげ、最終的には、五一三三口座に入金した可能性も乏しいことを認めている。

しかしながら、前記第五、四のとおり、弁護人は、関係証拠の開示や取寄せを求めて立証を試みており、これは立替え関係でも同様で、開示や取寄せを受けた資料を検討したうえで主張を撤回している。また、被告人が本件各小切手の現金化に関わっていなかった場合には、小切手金の行方を主張するとすれば、推測に基づかざる得ない面がある。これらの点からすると、被告人の供述の変転について、罪責を免れるために虚偽の主張を重ねたものと評価するのは妥当でない。

五 以上のとおり、差戻し前一審までの被告人の自白等は、その内容自体に少なからず疑問があるうえ、裏付けとなる客観的事実に乏しく、供述経過の点でも、虚偽の自白をしたとする被告人の公判供述を排斥する根拠が乏しい。結局、これらの自白等の信用性には疑問がある。

第七  その他の疑問点

一  Y及びKの各証言によると、被告人の退職当日、Yは昭和五六年度から五八年度の精算勘定元帳、精算事務の振替伝票がなくなっていることに気がつき、同日夕方、Kと二人で探したところ、振替伝票の一部がゴミ袋に捨てられていたのを発見したという。Kによれば、これは精算勘定の振替伝票で生ゴミで汚れていたとのことであるが、両証言によっても、いつのいかなる伝票か不明であり、重要な資料であるにもかかわらず、その後の保管状況も不明である。

二  被告人の退職以来、組合内では、右三年度分の精算勘定元帳や精算勘定の振替伝票は所在不明であるとされ、Yは、I子にその旨を告げて使途不明金の調査をさせ、〈差戻し〉前一審警察官調書〈書証番号略〉、控訴審及び当審でも同様の供述、証言をしていた。K証言、〈証拠略〉の前一審警察官調書も同趣旨である。ところが、その後、当審第一〇回公判(平成三年四月三〇日)において、I子は、昭和六一年に事務所を改造したときにその一部が見つかった旨証言し、これを受けて平成三年六月一九日、昭和五六年四月分から五八年二月分までの振替伝票が領置されるに至っている(〈書証番号略〉)。

三  Y及び関係者の証言によれば、Y事務長は、精算事務に相当に関与していたと認められるが、捜査段階では、精算事務には全く関与していなかった旨供述していた(〈書証番号略〉)。

四  被告人は公判において、退職の理由として、主として店舗の経営をするためであったと述べており、少なくとも、何らかの不正が表面化して、又はしそうになって退職したことを窺わせる証拠はない。他方、Nの証言によれば、K理事長は、Nに対して退職当日に組合事務所で被告人を見張るように指示したとのことであり、Kも、被告人に不明朗な点があるから、何かやるのではないかと思い、この日の夕方、事務所に行った旨証言している。ところが、Kは、不明朗の内容について、経理面ではないと述べ、その他の面でも何ら合理的な根拠を示していない。

五  このように、使途不明金問題の発生から被告人の責任追求に至る経過等に関する関係者の供述には、不明朗な点が少なくない。

第八  結論

東海・尾頭橋等の窓口で持参者に交付された本件各小切手金の多くは、被告人が従来公判で主張してきたのとは異なり、組合の資金としては利用されなかった疑いが強い。しかしながら、自白以外の証拠によっては、組合理事長印を押捺して本件各小切手を作成した者及び銀行窓口に持参して現金を受け取った者を特定することはできず、被告人である疑いが強いといえるわけでもない。一部の小切手については、被告人が行なった可能性はあるが、その小切手を特定することはできないし、目的も不明である。

そして、被告人の自白等は、それ自体種々の疑問点があるうえ、他の証拠と総合しても信用性を肯定することはできず、加えて、重要な関係者の供述にも不明朗な点が少なくない。このような証拠関係のもとでは、本件公訴事実、すなわち、被告人が、自己において費消する意図のもとに、東海・尾頭橋等において本件各小切手金の交付を受けて、これを騙し取った事実を認めることは不可能である。

よって、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをする。

(裁判長裁判官 大山貞雄 裁判官 神山千之 裁判官 半田靖史は転補のため署名捺印できない。裁判長裁判官 大山貞雄)

別紙

番号

犯行日時

(昭和年月日頃)

犯行場所(名古屋市)

騙取金額(円)

1

五八・一二・七

中川区尾頭橋二丁目一番八号

(株)大垣共立銀行尾頭橋支店

四、八〇七、七九五

2

五八・一二・二七

同区尾頭橋二丁目一番二号

(株)東海銀行尾頭橋支店

六、三五五、五二〇

3

五九・一・九

右同

三、〇二七、五六五

4

五九・一・二八

前記1に同じ

一、七五九、五四〇

5

右同

前記2に同じ

九九〇、七四〇

6

五九・二・三

前記1に同じ

三、二〇六、〇一〇

7

五九・二・一五

右同

六、〇〇〇、〇〇〇

8

五九・二・二二

前記2に同じ

二、三二〇、三〇二

9

五九・三・二三

前記1に同じ

二、四八八、三六八

10

五九・三・二七

前記2に同じ

四、九六七、六一〇

11

五九・四・二七

右同

二、五七三、八五五

12

五九・五・二

前記1に同じ

六、一七四、四一〇

13

五九・五・一一

右同

三、二二二、六二三

14

五九・五・一四

右同

二、〇二五、二三〇

15

五九・五・二二

右同

四、一〇八、五九〇

16

五九・五・二九

右同

六、六六〇、〇二五

騙取金額合計六〇、六八八、〇八三円

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